ガラテヤ5:16-26「御霊によって進もう」
実現不可能な戒め?
「御霊によって進もう」。今日の説教題です。前回の箇所で私たちは、キリストによって自由を与えられた者として、愛をもって互いに仕え合いなさいというみことばの励ましを受けました。愛をもって互いに仕え合う。これは自由な者だからこそできることです。私たちは神さまによって本来、互いに仕え合う者として造られている。だから互いに仕え合うとき、私たちはそこで真の自由を経験していく。神さまに造られた私たちのいのちが本来の輝きを取り戻していく。
愛をもって互いに仕え合う。私たちはここに生きていきたい。けれども、これは簡単なことではありません。互いに仕え合うとは、互いのしもべになるということです。自分よりも他者を、隣人を優先する。それがしもべになるということです。これが難しい。いっときであればできるかもしれません。先週、災害ボランティアの話をしましたが、ボランティア期間中だけであればできるかもしれません。けれども、その後日常生活に戻ったらどうか。相変わらず自分のことしか考えない自分がいるわけです。
「互いに仕え合いなさい」。これは原文では現在形が使われています。互いに仕え合い続けなさい。私たちが日々、生涯を通して実践していくこととして語られている。だから難しいのです。失敗してばかり。反省してばかり。いや、もしかしたら反省すらもしていないかもしれない。これでいいのだ。人間だからしょうがない。諦めてしまっている自分がいるかもしれない。自分の力では到底なしえない、実現不可能なみことばのように思えるかもしれない。
御霊と肉
パウロはそれをよく分かっていました。彼自身も私たちと同じ人間だからです。人がもつ弱さを、人の力の限界をよく分かっていた。だから、パウロは続けるのです。16節「私は言います。御霊によって歩みなさい」。これも現在形ですから、あえて訳すと、「御霊によって歩み続けなさい」。御霊によってこそ、愛をもって互いに仕え合う歩みが実現していく。それが、パウロが示している私たちの道です。そこに私たちの進むべき道がある。
この「御霊によって歩む」というフレーズは、教会歴が長い方であれば、何度も耳にしてきたフレーズだと思います。教会ではよく聞く表現です。しかしよく考えると、これは随分抽象的な、ふわっとした表現だと思うのです。御霊は当然目に見えません。掴むことも、触ることもできない。この「御霊によって歩む」というのは具体的にどういうことなのか。
そこでパウロは、「御霊」を「肉」との比較の中で語っていきます。もう一度16節から17節前半まで「私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。肉が望むことは御霊に逆らい、御霊が望むことは肉に逆らうからです。」この「肉」ということばは聖書の中で幅広い意味で使われていますが、ここでは簡単に言うと、私たちの内にある罪深い性質のことを指して使われています。罪深い性質なわけですから当然、神さまの霊である御霊とは対立するわけです。
アニメやドラマなどでは時々、「天使のささやき」と「悪魔のささやき」が描かれることがあります。「いいじゃん。やっちゃいなよ」と私たちを悪の道に誘惑しようとする悪魔に対して、天使が「ダメだよ!そんなことしちゃいけない!」と必死に止めようとする。イメージとしてはそれに近いかもしれません。ある事柄に関して、御霊の声に従い、神さまが喜ばれる道、他者に仕える道に進んでいくのか。それとも、肉の声に従い、自分の欲望を満たす道に進んでいくのか。私たちの中で戦いが起こります。御霊か肉か、相反する二つの声の間で、私たちは悩み、苦しみ、葛藤する。これは、私たちが全員経験していることです。私たちはいつもその戦いの中にいる。
御霊の勝利
しかし、ここで私たちが注意したいのは、御霊と肉は決して対等な力関係にあるのではないということです。そこで目を留めたいのが24節です。「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたのです」。イエス・キリストを信じ、イエス・キリストに結び合わされている者は、自分の肉を十字架につけた!すでに肉に勝利しているのだと聖書は語るのです。私たちが自分の力で勝利したのではありません。むしろ、自分の力では勝利できなかった。惨敗してばかりだった。けれども、そんな私たちのためにイエス・キリストは十字架にかかり、罪の力に勝利してくださった。肉にとどめをさしてくださった。だから、キリスト・イエスにつく者は、キリストとともに、肉に対して勝利しているのです。すでに勝利している。
勝利しているとは言っても、私たちの内にはまだ肉が残っています。罪の性質が残っている。罪の性質が完全になくなるためには、私たちが完全に新しくされる復活のときを待たなければいけません。けれども、罪の性質が残っているからと言って、肉が残っているからと言って、私たちはそれを必要以上に恐れる必要はありません。肉が消え去ることはすでに決定しているからです。すでに勝利しているとはそういうこと。
25節の前半に、「私たちは、御霊によって生きている」とあります。私たちのいのちを動かしているのは、肉の力ではありません。御霊の力です。私たちの心の中心にはすでに、御霊が住んでくださっています。キリストの霊が住んでくださっている。肉は、最後の足掻きをしているに過ぎません。もちろん、最後の足掻きを侮ることはできません。完全に消え去る前になんとか傷跡を残そうと必死に足掻いている。私たちはときに、そちらに引っ張られることがあります。もしかしたらいつも引っ張られてばかりかもしれない。けれども、大丈夫です。私たちはすでに、御霊によって、キリストのものとされています。私たちの内にはいつも、力強い御霊の声が響いている。御霊は必ず、肉よりも大きな声で「こっちだよ!」と私たちを呼び戻し、正しい道へと導いてくださる。肉の側に完全に戻ってしまうことがないように、いつも私たちを引き留め、連れ戻してくださる。
17節で語られているのもそういうことです。17節後半にはこうあります。「この二つ(御霊と肉)は互いに対立しているので、あなたがたは願っていることができなくなります」。ここでパウロは何を言おうとしているのかについては色々と議論があるのですが、ある人はこの箇所をこう言い換えていました。「結果としてあなた方は、自分が欲する肉の思いを行いません」。「肉の思いを行いません」と言い切っている。そんなに言い切っちゃって大丈夫なのか。パウロは本当に私たちの現実を理解しているのか。
もちろん理解しています。けれどもパウロは、「肉の思いを行わない」ということの根拠を自分に置いているのではありません。自分に自信があってそう言っているわけではありません。自信がないのは当たり前です。弱い人間ですから。大事なのは、自分に自信をもつことではなくて、御霊に信頼することです。自分にはできなくても、御霊がそうさせてくださる。御霊を信じること。これも含めて信仰です。御霊も神さまですから。肉に引っ張られたとしても、御霊がいる限り、私たちが肉の思いに支配されることは決してありません。御霊なる神さまが私たちを守っていてくださる。だから、この御霊の力に信頼していこう。御霊がいるから大丈夫。パウロは確信をもって私たちを励ましているのです。
そして御霊の働きは実際に、私たちの生き様に現れるようになっていきます。それが22-23節で語られている、有名な「御霊の実」です。「御霊の実」とは、御霊の働きの結実、結果のことです。御霊は必ず結果を残してくださる。このことについては、また来週詳しく見ていきたいと思っています。
足並みをそろえ続ける
御霊に信頼していく。それは当然、私たちはただ黙ってボーッとしていればいいということではありません。パウロは「御霊によって歩みなさい」と語っています。「歩む」、これは私たちの側の生き方の問題です。どんなに御霊が「こっちだよ!」と大きな声で私たちに語りかけていても、どんなに力強く引っ張っていても、「うるさい!」と耳を塞いで、思いっきり手を振り払ってしまったら、一体どうなってしまうか。肉の思いはそれを見逃しません。気づいたら、肉の思いの方に体全体が吸い寄せられていた。そんなことになってしまうかもしれません。
ですからパウロは、25節で再度ことばを換えて私たちを励ましています。「私たちは、御霊によって生きているなら、御霊によって進もうではありませんか」。「御霊によって進もう」。この「進む」ということばはもともと、兵隊の列が縦に整列するというニュアンスをもっています。このニュアンスから、ある人はこの箇所を、「御霊に足並みをそろえ続けよう」と訳していました。とてもいい表現です。
皆さんはムカデ競争をしたことがあるでしょうか。前後の人と足首を紐で結んで、前の人の肩に手を置いて、列が崩れないようにイチ、ニ、イチ、ニ、と進んでゴールを目指していく競技です。イメージとしては、それに近いかもしれません。御霊とガッチリ結びつけられた私たちは、御霊の肩に手を置きながら、御霊が導く方に足を進めていく。はじめは御霊の歩幅に、リズムに慣れないかもしれません。列が乱れてしまったり、ときには倒れてしまいそうになったりすることがあるかもしれません。けれども、大丈夫です。御霊は絶対に私たちを見捨てて先に行ったりはしません。倒れそうになっても、力強い腕でしっかりと支えてくださいます。「大丈夫、前を向いて一緒に頑張っていこう」、温かい声で、私たちを励まし続けてくださる。この御霊とともに生きていく。御霊に足並みをそろえ続けていく。それが御霊によって歩む、御霊によって進むということです。御霊は必ず、私たちをゴールへと導いてくださいます。栄光に輝く神の国に私たちを導き入れてくださる。この希望をもって、今週も御霊とともに一歩一歩、御国を目指して進んでいきましょう。
※説教中の聖書引用はすべて『聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会』を用いています。

