ガラテヤ1:1-6「いのちの福音」

今日からしばらく、ガラテヤ人への手紙を読み進めていきます。3月末まで、私たちは創世記を読み進めてきました。聖書の一番初めの書、創世記を通して、旧約聖書と新約聖書を貫く、一貫した神さまのお姿、変わることのない神さまの愛とあわれみを見てきました。時々、旧約聖書の神さまは厳しいお方で、新約聖書の神さまは愛のお方、そんなイメージを耳にすることがありますが、それがいかに誤りであるか、よく感じることができたのではないかと思います。旧約の神さまと新約の神さまは、異なる別の存在ではない。同じ愛とあわれみに満ちたお方である。それが聖書の教える神さまのお姿です。

では、旧約聖書と新約聖書は結局何も変わらないのか。そう考えるのもまた誤りです。イエス・キリストが来られた。これは決定的な出来事です。私たちはもはや、旧約の時代には生きていない。イエス・キリストがすでに来られた新約の時代に生きている。旧約の時代にも豊かな恵みは与えられていたけれども、その恵みの上に、さらなる恵みが、決定的な恵みが与えられた。それが新約の時代です。

そして、その新約の時代の恵みを力強く語っているのが、このガラテヤ人への手紙です。もちろん新約聖書はすべて、イエス・キリストを通して与えられた恵みについて語っているわけですが、その中にあっても、このガラテヤ書には一際、力が込められている。ですから私たちは、このガラテヤ書を読み進めていく中で、イエス・キリストを通して私たちに与えられている豊かな恵みを、イエス・キリストの福音のすばらしさを、改めて受け取っていきたいと願っています。

手紙という形式

さて、まずはこの書の基本的な情報を確認していきます。この書は、手紙という形式で書かれています。手紙には当然、差出人と受取人がいるわけですが、差出人は1節の最後にはっきりと書かれています。使徒パウロです。

宛先はどこか。2節を見ると、「ガラテヤの諸教会へ」とあります。ガラテヤというのは、現在のトルコのちょうど真ん中あたりにある地方の名前です。聖書の最後に地図が載っている方はそちらをご覧いただくと、地図13と14にガラテヤの地名が載っています。その地図には、パウロの3回にわたる伝道旅行のルーツが書かれていますが、いずれの伝道旅行でも、ガラテヤ地方の南部を通っていることがわかります。デルベ、リステラ、イコニオン、ピシディアのアンティオキアといった町です。こういった町の教会はすべて、パウロの伝道旅行によってできたと言われています。パウロが開拓した教会です。そしてこのガラテヤ書は、パウロが開拓したそういったガラテヤ地方南部の諸教会に宛てられた手紙であると考えられています。

新約聖書には、パウロが書いた手紙がたくさん載っています。ローマ、コリント第一・第二、エペソ、ピリピ、コロサイ、テサロニケなど、他にもありますが、どの手紙も大体、冒頭の挨拶の後に、感謝のことばが記されています。例えばロマ書を見ると、パウロからローマにいる聖徒たちへ、恵みと平安があなたがたにありますようにという挨拶の後に、「まず初めに、私はあなたがたすべてについて、イエス・キリストを通して私の神に感謝します」(ロマ1:8)と続いています。こういった形式は私たちも馴染みがあると思います。私たちが手紙を書くときにも、「こんにちは。お元気ですか。先日はどうもありがとうございました」と、感謝のことばを述べてから、本文に入っていくことが多いと思います。パウロの場合は相手のことをおぼえて神さまに感謝しているわけですが、いずれにせよ、挨拶→感謝→本文という基本的な手紙の流れに沿って書かれています。

パウロの驚き

けれども、数多くあるパウロの手紙の中で、このガラテヤ書だけはその流れを無視しています。5節までの挨拶のことばの後、パウロは一言目に何と書いているか。6節「私は驚いています」。これは良い方の驚きではなく、悪い方の驚きです。ある別の翻訳では、「私はあきれ果てています」となっています。あきれ果てるほど驚いている、ということ。しかも8節と9節を見ると、どちらの最後にも、「そのような者はのろわれるべきです」と繰り返されています。ここで言う「のろい」というのは、神さまのさばきを受けるということです。そのような者は神さまのさばきを受けるべきである、ということ。穏やかではありません。パウロは相当お怒りです。

これはガラテヤの教会の人々としても相当ショックだったはずです。ガラテヤの教会の人々にとってパウロは、自分たちの教会を開拓してくれた人です。この教会もスウェーデンの宣教師によって開拓されました。イメージしてみてください。敬愛する宣教師の先生から、久しぶりに手紙が教会に届いた。一体どんなことが書いてあるのかなと楽しみに手紙を開けたら、いきなり「私はあきれ果てています」と書かれている。かなりショックを受けると思うのです。ガラテヤの教会の人々も、手紙を開けてすぐに、衝撃を受けたはず。

一体パウロ先生はなぜこんなに怒っているのか。何に驚き、あきれ果てているのか。6-7節「私は驚いています。あなたがたが、キリストの恵みによって自分たちを召してくださった方から、このように急に離れて、ほかの福音に移って行くことに。ほかの福音といっても、もう一つ別の福音があるわけではありません。あなたがたを動揺させて、キリストの福音を変えてしまおうとする者たちがいるだけです。

パウロが驚きあきれ果てている理由。それは、ガラテヤの教会の人々が、真の福音から離れていこうとしていたからでした。具体的に何が起きていたのか。手紙の中身から浮かび上がってくるのは、ガラテヤの教会の人々を誤った福音へ導こうとしていたある人々の存在です。おそらく、エルサレム辺りからやってきたユダヤ人クリスチャンたちだと考えられます。ガラテヤの教会の人々の大半は異邦人クリスチャンでした。ユダヤ人ではない、地元の人々です。彼らは、人はただ、イエス・キリストを信じることによって救われるという福音をパウロから聞いて、イエス・キリストを信じ、教会に加わりました。そこまではよかった。

けれどもある時、エリートのユダヤ人クリスチャンのグループがやって来て、こういう話を始めたわけです。「みなさんがイエス・キリストを信じたのはすばらしいことです。けれども、それだけでいいと勘違いしていませんか。キリストを信じるだけでは十分ではありません。あなたたちは、割礼をはじめとした、旧約聖書の律法も守れなければいけません。キリストを信じて、旧約聖書の律法を守る、この二つが揃って初めて、あなたたちは本物のクリスチャンになれるのです!あなたたちはまだ半人前のクリスチャンに過ぎないのですよ。」

それを聞いて、ガラテヤの教会の人々は動揺しました。聖書に精通しているエリートのユダヤ人クリスチャンが言うことです。非常に説得力があるように聞こえる。「もしかしたら、自分たちはまだ本物のクリスチャンになれていないのかもしれない」、「あぁ、やっぱり割礼を受けなきゃいけないのかな。そりゃそうだよな」。教会は揺れに揺れていた。そんな状況が浮かび上がってきます。

そしてある日、そんなガラテヤの諸教会の状況がパウロの耳に入ってきました。パウロは大きなショックを受けました。こんなにも早く、ガラテヤの教会の人々が福音から離れていってしまうなんて!手遅れになる前に、何とか彼らに本物の福音を改めて伝えなければいけない!いてもたってもいられなくなったパウロは、すぐさま紙と筆をとり、「私は驚いています」と書き始めた。それがこのガラテヤ書です。

いのちにかかわること

この手紙を通してパウロが何を伝えようとしたのかについては、これから手紙を読み進める中で、じっくり学んでいきたいと思っています。今日のこの手紙の冒頭の箇所で私たちがおぼえたいのは、パウロの真剣な姿勢です。「パウロさん、言いたことは分かるけど、もう少し穏やかに、冷静に書いたほうが相手にも伝わるんじゃないですか」。私たちは思うかもしれません。たしかにそういうこともあるでしょう。劇しやすいパウロの性格がここにはよく表れています。私はあまりそういう性格ではないので、もし同じ状況になったとしても、もう少し落ち着いた書き方になるだろうなと思います。

けれども、ここで私たちがおぼえたいのは、パウロがここまで感情を露わにしているのは、これがガラテヤの教会の人々のいのちにかかわる大事な問題だったから、ということです。ただのいのちではありません。永遠のいのちにかかわる大事な、大事な問題です。真の福音から離れて、偽りの福音に移るということは、彼らが永遠のいのちを失うということでした。だからパウロは、厳しいことばで戒めているのです。

ガラテヤの教会の人々のことをさばくためではありません。ここで「のろわれるべきです」、「神のさばきを受けるべきです」と言われているのは、偽りの福音を宣べ伝えている人たちです。ガラテヤの教会の人々に対してではない。むしろ、ガラテヤの教会の人々に対してパウロはこの後の11節で、「兄弟たち」と呼びかけています。愛する兄弟姉妹だからこそ、永遠のいのちを失ってほしくないのです。何とか、本物の福音に、イエス・キリストの福音に戻ってきてほしい。それがパウロの思いです。神の家族を思う、パウロの熱い、熱い思い。

福音は、私たちのいのちにかかわることである。そこまでの真剣さを私たちはもっているでしょうか。それほど大事なこととして、福音を受け取っているでしょうか。適当に信じていればいい。なあなあに信じていればいい。信じても信じなくてもどっちでもいい。そんな安っぽいものではありません。私たちのいのちが、永遠のいのちがそこにかかっている。この真剣さをもって、福音のメッセージに聞いていきたいのです。そして、この真剣さをもって、真の福音を、イエス・キリストの福音を宣べ伝える者となっていきたい。一人でも多くの人が永遠のいのちを得ること。それが神さまの願いです。その神さまの願いを、自らの思いとしたパウロ。このパウロの真剣な姿勢に教えられつつ、そして、「私は驚いています」、このパウロのことばに私たち自身、身を正されながら、イエス・キリストの福音に堅く立ち続けていく教会でありたいと願います。

※説教中の聖書引用はすべて『聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会』を用いています。