ローマ6:1-11「キリストと一つになる」

今日は年間目標と年間聖句に関連するみことばにご一緒に聴いていきましょう。はじめに年間聖句をみなさんで読みます。「神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、義と認められた人たちにはさらに栄光をお与えになりました。」(ローマ人への手紙8章30節)この箇所から、「救いの確かさを知る」というテーマを立てて、月に1回、私たちに与えられている救いの様々な側面について、みことばに聴いています。

前回は年間聖句を含むローマ8章28-30節から、救いは徹頭徹尾神さまの御業であることを確認しました。世界の基が据えられる前から私たちを選んでくださった神さまは、最後の最後まで必ず私たちを守り導いてくださる。それが私たちに与えられている救いです。

シリーズ2回目となる今日のテーマは、「キリストと一つになる」ことです。キリストに結び合わされること。これを少し難しいことばで、「キリストとの結合」と言います。救いとは、キリストと一つになること、キリストに結び合わされることである。

先週、私たちはイースター礼拝をおささげました。イエス・キリストが十字架で死なれた後、三日目によみがえられたことを特別におぼえ、お祝いをする。それがイースターです。ただそこで改めて考えたいのは、なぜイースターは私たちにとって大切なのかということです。2000年ほど前、この日本から遠く離れたパレスチナの地で、イエス・キリストという人物に起こった出来事。それが一体なぜ、現代の日本に住む私たちにとって良い知らせであり得るのか。言ってしまえば、大昔の他人に起きた出来事です。私たち自身が十字架と復活を経験したわけではない。それなのになぜ、十字架と復活は私たちの救いの根拠となり得るのか。

十字架と復活が私たちのものに

その疑問に対する答えを記しているのが今日の5節です。「私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです」。私たちはキリストと一つになっている。これは、イエス・キリストの救いを理解するために決定的に大切なことです。なぜか。キリストと一つになっているからこそ、大昔の他人に起きた十字架と復活という出来事が、私たちの出来事となるからです。キリストの十字架と復活が、私たちのものになる。

たとえば、野球をイメージしてみてください。実際にフィールドでプレーするのは9人だけです。あとのメンバーはみんなベンチやスタンドの応援席にいます。試合には出ていません。けれども、フィールドにいる9人が試合に勝った場合、その勝利は、9人だけのものにはなりません。ベンチにいるメンバーも、応援席にいるメンバーも含めて、チームみんなの勝利になります。自分は実際に試合に出ていなくても、「俺たちは勝った!」となるわけです。なぜか。一つのチームだからです。だからこそ、チームの代表である9人の勝利が、自分たちのものにもなる。実際にプレーはしていないけれども、その勝利にあずかることができる。

これがまさに、イエスさまの十字架と復活で起きたことです。実際に十字架と復活を経験されたのはイエスさまお一人です。けれども、私たちはそのイエスさまと一つになっている。イエスさまに結び合わされている。これは他にも色々な表現ができます。イエスさまに接木されている。キリストのからだの一部とされている。キリストのものとされている。聖書の中にも様々なイメージが出てきますが、指し示していることは同じです。私たちはイエスさまと一つになっている。だから、十字架と復活は私たちの出来事でもあるのです。キリストの十字架と復活が、私たちのものになる。

罪に対して死に、神に対して生きる

では、具体的に、十字架と復活で何が起きたのか。そこで目を留めたいのが今日の箇所の10-11節です。「なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。同じように、あなたがたもキリスト・イエスにあって、自分は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者だと、認めなさい。

まずは十字架について、「ただ一度罪に対して死なれた」とあります。罪に対して死ぬとはどういうことか。罪の力を無効にしたということです。罪は、私たちを神さまから引き離そうとします。神さまのことばなんか聞かずに、欲望の赴くままに生きたらいいじゃないかと、私たちを誘惑してくる。イエスさまも、その誘惑を経験しました。「十字架なんてかからずに、逃げてしまえばいいじゃないか」、サタンの誘惑を受けられた。あのゲツセマネの園での祈りがそれをよく表しています。

けれども、イエスさまはその誘惑に打ち勝ちました。最後の最後まで、十字架の死に至るまで、父なる神さまのみこころに従い続けた。それによってイエスさまは、罪の力に勝利したのです。アダム以降の人類がずっと屈し続けてきた、惨敗し続けてきた罪の力に勝利した。罪の支配を打ち破った。それが十字架の出来事です。

そしてそれが今や、私たちの出来事となっている。だから11節は言うのです。「同じように、あなたがたもキリスト・イエスにあって、自分は罪に対して死んだ者であると認めなさい」。私たちは自分の力では罪の力に打ち勝つことはできません。ずっと罪の言いなりになってきた。けれども、そんな私たちの代わりに、私たちの代表として、イエス・キリストは罪の力に勝利してくださった。その勝利に、私たちは今あずかっているのです。キリストと一つになっている私たちは、すでに罪の支配から解放されている。キリストの十字架が、私たちの出来事となっている。

ただ、それだけではありません。罪の支配から解放されて終わりではない。そこから新しいいのちが始まっていきます。「キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです」。「神に対して生きておられる」。これは、神さまとの関係の中で生きておられるということです。十字架の死によって罪の支配を打ち破られたイエス・キリストは、三日目によみがえられたことによって、神さまとともに生きる道を切り開いてくださった。だから同じように、あなたがたも神に対して生きている者だと認めなさい。私たちはもはや、罪の支配のもとで生きているのではない。神さまのご支配のもとで生きる者とされている。神の国に生きる者とされている。キリストの復活が、私たちの出来事となっているのです。

バプテスマが表すもの

ただ、キリストと一つにされたと言われても、いまいち実感が湧かない。抽象的すぎて、いまいちピンとこない。そう感じる方もおられるかもしれません。確かにそうです。イエス・キリストの救いというのは、それ自体は目に見えませんから、いまいちリアリティが感じられないということは当然あると思います。けれども、大丈夫です。神さまはそんな私たちのために、あるものを与えてくださいました。バプテスマ、洗礼です。3-4節「それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。

バプテスマ、洗礼とは何か。一言で言えば、「キリストとともに死に、キリストとともによみがえる」ということです。水の中に沈められる。これは、罪に支配されていた古い私たちの死を表しています。そこで私たちはキリストとともに、罪に対して死ぬのです。罪と訣別する。

そしてそこから私たちは起こされていく。キリストとともに、新しいいのちによみがえるのです。イエス・キリストと一つになって生きる、新しい毎日が始まっていく。神さまの支配のもとで、神の国の民として歩んでいく、新しい生活が始まっていく。このすばらしい恵みを、目に見える形で表しているのがバプテスマ、洗礼です。洗礼を通して、私たちはキリストと一つにされていく。洗礼を通して、キリストの十字架と復活が、私たちのものとなっていく。

洗礼を受けた後も、私たちを罪の支配のもとに引き戻そうとする罪の力は働いています。それに抗い続けるのは簡単なことではありません。罪の力は手強い。私たちはそれをよく知っていると思います。日頃から痛感しているはず。神さまは、そんな私たちの弱さをよくご存知です。だから、11節の最後で私たちを励ましているのです。「同じように、あなたがたもキリスト・イエスにあって、自分は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者だと、認めなさい」。認めなさい。イエス・キリストと一つになっているという事実を確認し続けるということ。

宗教改革者のマルチン・ルターは、信仰の試練に遭うたびに、「私は洗礼を受けた。私は洗礼を受けた」と繰り返し自分に言い聞かせたそうです。私自身は変わらず弱い。けれども、私がどれだけ弱くても、洗礼を受けたという事実は揺るがない。私はすでにキリストと一つになっているという事実は揺るがないのです。私はもはや、罪の支配のもとには生きていない。キリストとともに、新しいいのちを生きているのだ。この救いの事実を確認し続けていくこと。認め続けていくこと。私たちはいつも、ここに立ち戻っていくのです。

私たちはこの後、聖餐にあずかります。この聖餐はまさに、私たちがキリストと一つになっていることを確認するために、神さまが与えてくださったものです。キリストのからだを表すパンと、キリストの血潮を表す杯にあずかることを通して、キリストの十字架と復活が私たちのものとなっていることを確認していく。いよいよキリストに深く結び合わされていく。神さまが与えてくださったこのすばらしい恵みに、今日もご一緒にあずかっていきましょう。

※説教中の聖書引用はすべて『聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会』を用いています。