2コリント13:13「三位一体の神とともに」
序
あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。元旦礼拝にもおられた方は今日が2回目になりますけれども、この新年礼拝、みことばから力をいただいて、2026年の歩みを始めていきたいと願っています。
今日は1月の第一主日でもありますので、年間聖句と年間目標に基づくみことばに聴いていきましょう。年間聖句と年間目標は2月末の教会総会で切り替わりますので、今月と来月の残り2回になります。「ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です」(ローマ12:1)。この聖句から、「礼拝の民として歩む」という目標を立てて、礼拝に関するみことばに毎月聴いています。
前回は「献金」について、第一歴代誌29章からみことばに聴きました。今回のテーマは、「祝福」です。私たちの礼拝式では、「祝福の祈り」という名前で式次第の最後の方に組み込まれています。私は基本的に聖書の祝福のことばをそのまま祈りますけれども、牧師や教会によっては、オリジナルの祝福のことばを用いている場合もあります(もちろん聖書のことばに基づいてです)。ただ、いろいろなバリエーションはありながら、間違いなく一番よく用いられているのが、今日私たちが開いているコリント人への手紙第二の13章13節です。みなさんもよく親しんでおられると思います。
しかし、毎週聴いているとは言え、いや、毎週聴いているからこそ、この祝福のことばの意味を改めて考えることはあまりないのではないかと思います。ですから今日私たちは、このみことばを見ていく中で、私たちが毎週いただいている神さまの祝福を改めてじっくり味わっていきたいと思います。
豊かな祝福
この箇所は、手紙の結びの挨拶です。新約聖書には多くの手紙が含まれていますが、そのほとんどは、宛先の人々の祝福を祈ることばで閉じられています。では、数ある祝福のことばの中で、なぜこの第二コリントの祝福のことばが教会で最も多く用いられているのか。この祝福のことばが、イエス・キリスト、父なる神、聖霊という、美しい三位一体の形式で語られているからです。
まずは、「主イエス・キリストの恵み」です。これはイエス・キリストによって与えられる救いそのものと言い換えてもいいほどの豊かな意味をもつことばです。罪の力に対する勝利、罪のきよめ、義と認められること、聖なる者とされること、神の子どもとされること、キリストに似た者へと変えられ、成長していくこと、終わりの日の復活が約束されていること、そういった救いのありとあらゆる事柄が含まれています。その豊かなキリストの恵みが、あなたがたのうちでいよいよ満ちあふれていきますように。そんな祈りが込められています。
その次が、「神の愛」です。ここでいう「神」は、父なる神さまのことを指しています。順番的にはイエスさまの前に来た方が、父・子・聖霊という並びでスッキリするのではないかと思われるかもしれませんが、この箇所では、私たちの経験に基づく順序で三位一体の神さまが描かれています。どういうことか。ロマ書5章8節にはこうあります。「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます」。愛する御子を世に遣わし、十字架によって死に渡すほどに、父なる神さまは私たちを愛してくださった。私たちはイエス・キリストを通して、父なる神さまの愛を知るのです。その神さまの愛の深さ、広さ、豊かさをもっともっと知ることができるように。いよいよ神の愛に満ちあふれていくように。
そして最後が「聖霊の交わり」です。これが一番意味が分かりづらいかもしれません。ここで言う「交わり」には、二つの側面があります。まずは、三位一体の神さまとの交わりです。私たちは聖霊さまの働きによって、神の子どもとされ、神の家族に迎え入れられている。三位一体の神さまとの交わりに加えられています。ただ、それだけではありません。私たちは同時に、同じように神の家族に加えられている、愛する兄弟姉妹との交わりにも加えられています。今日の箇所の少し前の11節を見ると、「思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい」とあります。これが、コリント教会の課題の一つでした。教会の交わりが壊れかけていた。そういう中でパウロは、聖霊によってあなたがたの交わりが回復されていきますように、そんな願いを最後に込めたのです。
派遣と祝福
「主イエス・キリストの恵み」、「神の愛」、「聖霊の交わり」、どれも非常に豊かな意味をもつことばです。毎週、この祝福のことばを聴くたびに、全部の意味を思い起こすのは無理があります。そもそも、厳密に意味を理解する必要はないと思います。ここでパウロが伝えたいのは、「キリストの恵みとは何であるか」、「神の愛とは何であるか」、「聖霊の交わりとは何であるか」ではありません。そういったことは手紙の中ですでにたくさん語ってきました。パウロがこの結びのことばで一番伝えたいのは、父なる神さま、子なる神さま、聖霊なる神さま、三位一体の神さまがあなたがたとともにいるのだ、ということです。
先ほど申し上げたように、コリント教会には多くの問題がありました。この手紙の中には、そういった問題に関するパウロの厳しいことばも出てきます。彼らには多くの課題があった。けれども、心配することはない。三位一体の神さまがあなたたちとともにおられるのだから、必ず解決が与えられる。三位一体の神さまが総出で、あなたたちの歩みを支え、導いてくださる。だから、いよいよ主の業に励んでいきなさい。そんな祝福のことばをもって、パウロはコリント教会の人々を送り出しているのです。
私たちの礼拝式の中での「祝福の祈り」も同じです。祝福というのは、祝福を受けて終わりというものではありません。そこにはいつも、わたしたちを日常の歩みへ送り出していくという「派遣」の意味が込められています。神さまは私たちを、それぞれが置かれた場所へと遣わしている。それがキリストの弟子である私たちの歩みです。けれども神さまは決して、私たちを一人ぼっちで派遣することはありません。そこには絶えず、神さまがともにいてくださる。
あのマタイ28章の大宣教命令を思い出してください。「ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい」。このことばをもって、イエスさまは弟子たちを派遣しました。私たちも、このイエスさまのことばによって、それぞれの場所へと遣わされている。けれども、イエスさまは「行きなさい」と命じるだけではありませんでした。最後に何と言われたか。「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます」。私たちとともにいてくださることを約束してくださいました。キリストに従う道に苦難はつきものです。しかし、たとえどんな苦難があっても大丈夫。恐れる必要はない。わたしが世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいるから。祝福をもってわたしたちを送り出してくださっている。派遣には必ず、祝福が伴います。
ですから、私たちはそれに応答していきたいのです。礼拝式の「祝福の祈り」では通常、祝福が宣言された後に、会衆が「アーメン」と応答します。これは何の応答か。「はい、行ってきます!」、派遣に対する応答です。この先1週間の歩みには、多くの困難が待ち構えているかもしれない。けれども、ともにおられるあなたに信頼をして、精一杯、主の業に励んでいきます!毎週、毎週、決意を新たにして、それぞれの場所へと遣わされていく。日常へと遣わされていく。ですから、何となく周りにあわせて「アーメン」と言うのではなく、信仰をもって、大胆に「アーメン」と応答をしていきましょう。この派遣と応答が、私たちを1週間の歩みへと送り出していくことになります。
「あなたがたすべてとともに」
さて、最後に祝福のことばの最後の部分に短く目を留めたいと思います。「あなたがたすべてとともにありますように」。「あなたがたの一部」ではありません。「あなたがたすべて」です。私はいつも、この「すべて」ということばに力を込めています。祝福を祈るとき、私の目に映っているのは、この会堂に集っている方々だけです。けれども私はいつも、この場にはおられないけれども、同じ神の家族に属しているお一人おひとりのお顔も思い浮かべながら、祝福を祈ることを大切にしています。病の内にある方々、遠方におられる方々、様々な事情から、今は集うことが難しくなっている方々。お一人おひとり、主の祝福を必要としておられます。そういった方々も含めての、「あなたがたすべて」です。三位一体の神さまは、私たちすべてとともにいてくださる。この意識を、いつも大切にしていきたいと思います。
さて、今日は新年礼拝です。新年礼拝で、礼拝式次第の最後の「祝福の祈り」を扱うのはどうなのだろうかと、思われた方もおられるかもしれません。けれども、「祝福の祈り」は決して、礼拝式の終わりの合図ではありません。むしろ、そこから新しい1週間の歩みが始まっていく、派遣と祝福のことばです。そう考えると、この新年礼拝に大変ふさわしいみことばを、神さまは備えていてくださったのだなと感じます。「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように」。三位一体の神さまとともに、2026年の新しい歩みへと遣わされていきましょう。
※説教中の聖書引用はすべて『聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会』を用いています。

